音楽が全てだった頃。(+唐突なフィギュア紹介)

おはようございます〜。

昨晩就寝したのは12時過ぎ。
なんだか寝つきが悪く、ぼぉ〜っとしているところで恒例の足のつりによりのたうち回っていました。
ようやく痛みが治まったところで時計をみると4:30。再び寝床に入ったのですがなんだか結局寝付けずに起きてしまいました。全く休みの日は早起きだぜい〜。

さて、特に話題がないので、学生時代に音楽に夢中だった頃の話を少し書きたいと思います。

最初にギターを持ったのはいとこのお兄さんの影響でした。
彼はフォークディオを組んで色々なアマチュアのイベントに参加しており、私も中学の時に一度だけ観に行ったことがあります。なんとはなしにアコースティクギターを貸してくれて、一部のコードを教えてもらいました。
最初に練習したのは、アリスの「冬の稲妻」。
この曲はコードが3つしかなかったのですが、最初は苦労しました。
その後私は松山千春に目覚め、コード譜を購入し、練習にいそしんでいました。
中学時代は回りにギターを弾く人がいなかったので、一躍ヒーロー扱いされ、謝恩会などで披露させてもらいました。いやぁ、懐かし恥ずかし思い出です。

お兄さんはその後なぜか高中正義に傾倒し、エレキギターでよく聴かせてもらい、私もすっかり虜になりました。私のエレキとの出会いは、フュージョン(高中正義)だったんです。

通販の安いエレキギターを購入しのめりこんでいったのですが、エレキギターは、ギター以外にも、アンプ、エフェクターが必要なことにびっくりし、なんだか金がかかるなぁなんて思った次第です。

高校に入ってすぐに軽音楽部に入部し同級生とバンドを組む話になりました。
もちろん私は高中正義コピーバンドを目指したかったのですが、初心者にはかなりハードルが高く結局そのバンドは一曲もまともに演奏できることも出来ずに自然消滅しました。

残ったのは3人。
私はフュージョン志向でギター担当。
ドラムのキムラコーイチ君はヘビィメタル(ハードロック)志向。
ベースのイイヅカミキオ君はルーツはビートルズ
という奇妙な3人バンド結成です。

とりあえずきちんと一曲演奏できる曲をコピーしていこうということで、様々なジャンルとアーティストの曲をコピーしていました。全く節操のない方向性でした。

そんなこんなしている時に、イイヅカ君が一枚のアルバムを持ってきました。
それが、PINKCLOUDの「カックラウド」というアルバムです。
言わずと知れた、日本を代表するギタリストのCharのバンドでした。

皆がその音楽に同調し、バンドの方向性が見えてきました。Charのコピーバンドという方向性でした。
元々Charはソロデビュー後、諸事情(笑)で芸能界から一時姿を消したわけですが、Johnny、Louise & Char(JLC)として颯爽と音楽会に復帰した訳です。
PINKCLOUDはそのJLCがなぜかバンド名を変更し活動したバンドです。
そのデビューアルバムである、「カックラウド(CUTCLOUD)」を皮切りに年代を遡りはじめ、コピーをしまくりました。
バンド名は「JAMILA(ジャミラ)」。
そのあたりから、ライブハウスに出演をするようになりました。

ただ、やはりプロのバンドのコピーを極めるのは非常に大変なことですし、自分たちのオリジナルの曲を演奏したいという願望が徐々に大きくなり、オリジナル曲の制作に力を入れ始めました。

そして、いつかJAMILAで、音楽で飯を食えるようになりたい、という夢を持つようになりました。

私たちは高専に入学したのですが、イイヅカ君は3年で退学し、就職、私は4年の時に、もっと本格的に音楽に取り組みたいと思い、休学をしました。

とにかくリハーサルと曲作りの日々。
しかし一部の人には評価を頂けたのですが、いかんせんルックスに問題があり(笑)、一般的な支持を得るまでにはいきませんでした。(それ以外にもプロとして食っていけるスキルがなかったんでしょうが。。。)

当時はアマチュアバンドが非常に多く、数々のコンテストも開催されており、チャンスはあったと思いますがそのチャンスをものに出来るのはほんの一握り。デビューを掴んだとしても、長く人気を得ることは非常に難しかったと思います。TVでやっていた丁度イカ天世代ですね。(若い人にはわからないでしょう。。。)

一番嬉しかったのは、当時アマチュアバンドがプロになるきっかけを掴む大きなコンテストの、EAST&WESTという大会で地区予選を突破できたことですね。結局本戦を通過することは叶わなかったのですが、今でもいい思い出です。

そして、何がきっかけかはわからないですが、それまで以上の楽曲が出来上がり始めました。本当に手応えを感じました。今聞き返しても、決して恥ずかしくない楽曲が出来始めたと思います。(自画自讃ですね。。。)

しかし、そんな我々にも転機が訪れました。
私の卒業です。
卒業しても、音楽の道をあきらめることはありませんでしたが、そうはいってもただ音楽活動だけやっている訳にはいかず、アルバイトを始めました。そこで、彼女が出来てしまったのです。

ごくごく普通の女の子でした。バンド活動にもあまり理解を示してくれませんでした。いつしか私はバンドより彼女を優先していました。

そして、ついに彼女との結婚の話が出始めたのです。
アルバイト風情ではもちろん結婚なんて出来ません。

私はバンドの夢をあきらめ就職を決意しました。

人生とは全くうまくいかないものですね。。。
私は就職後、東京に単身赴任することになり、彼女としばらく遠距離恋愛を続けていましたが、結局ふられてしまいました。

もしあの時就職せず、バンドを選んでいたら、今頃どうなっていたんだろう?
バンドでの生計はたてられずとも、なにかしら音楽に携われていたかもしれない。
そう思うこともなくはありません。しかし後悔はしていません。

バンドは結局自然消滅してしまいました。
メンバーともきちんと話も出来ずじまいでした。


キムラ君は今でも音楽に携わっていると知人から聞かされましたが、一切連絡はとれない状態です。
イイヅカ君のほうも全くの音信不通状態です。

出来ればこの世を去る前にもう一度会いたい、もう一度JAMILAで演奏したい、というのが今の夢です。

JAMILAはスタジオ録音音源として3本のカセットテープを残しました。
一度MP3化したのですが、今そのテープは行方不明です。


BOY-BALL、JAMILAの曲はYouTubeにもUPしましたので歌詞と一緒に今後こちらで紹介したいと思います。(親父の道楽だと思って笑ってやって下さい。)




それでは、長くなりましたが、毎度恒例のフィギュア紹介です。
今回はバンプレストの KING OF ARTIST というシリーズもので、ONE PIECE のウソップになります。

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他のKOAは立ち姿なので本当は立ち姿がよかったのですが・・・

それでは今回はこの辺で。